風への共鳴

関西学院高等部 野球部顧問 芝川又美

 

 伊藤益朗さんから初めて海外に野球場を作りたいという話を聞いた時のことは、今でも鮮明に覚えています。いつのことだったのか、どんな季節だったのか、なんでそこに我々二人がいたのか、前後の脈絡は完全に抜け落ちているのですが、伊藤さんと二人で関西学院大学のグランド上の土手に座り、野球の試合を見ながら話をしていたその情景は、はっきりと思い出すことができます。関西学院の野球部としての記念事業のようなことを話題にしていたと思うのですが、どうせだったらこれくらいのことをしてはどうかと伊藤さんが持ち出された話題でした。私などには思いつくすべもないスケールの話で、相変わらず人とは違う視点で発想のできる豊かさに感心はしましたが、それはそれだけのことで、伊藤さんにしても、ジンバブエという国のことや、ましてその国に本当に球場ができてしまうことなどその時は思いも及ばない話だったのです。

 その後、幸運にも関西学院高等部野球部が甲子園に出場でき、その時の寄付金の一部をジンバブエのために役立てることができました。私自身そういう計画を持っていたわけではありません。ところが、新聞記者の人にインタビューをされている時、もし寄付金が余ったらどうするのかと問われ、自分でも唐突だったのですが、人様の役に立つように使いたい、できればジンバブエにと答えてしまったのです。知らぬ間にそう答えていた、それが正直なところです。でも振り返って考えれば、関学グランドの土手で伊藤さんから聞いた言葉がずっと私の中には残っていたのだろうと思います。関西学院の野球部としてそんなことができれば素敵だなという憧れに似た気持があのインタビューの時、自然に飛び出てきたのでしょう。

 聖書の中に「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」という言葉があります。経済的にも、野球的にも、発展途上の国へ球場を贈りたい、この思いはある日風が吹くように伊藤さんの胸の中に生まれたのでしょう。説明しようとすればいろんな説明は可能と思うけれど、でもひとことで言ってしまえば、「その時風が吹いたんだよ」と言うしかないようなそんな思い。さっきの私のインタビューのひとことにしても同じなのですが、一応の説明はついても、突き詰めれば風が吹いたとしか言えないのです。なにしろ、言った自分が自分でびっくりしていましたから。

 思いもかけない土地に、そこには咲くはずのない花が咲くことがあります。風が種を運ぶのです。それは偶然としか呼ぶことはできません。伊藤さんが村井さんに出会ったのも、伊藤さんがジンバブエという国を知ったのもそんな偶然の積み重なりでした。その時、風が吹いたからこその出会いだったのだと思います。思いのままに吹く風は、伊藤さんの夢をはるかジンバブエの地へと運び、そこにハラレ・ドリームパークというきれいな花を咲かせました。

 名前は消えてゆきます。業績も消えてゆきます。でも、球場は残る。そして、そこで野球を楽しむ人々があるかぎり、そこにはいつもあの風が吹き抜けているのです。どこからともなく、どこへともなく、人々の夢と憧れを紡ぎながら。

 

 魂の根っこの部分で野球を愛した一人の男がいた。その男の胸の中を、ある日風が吹き抜けた。ジンバブエの球場建設にはほんとうに多くの方々の協力がありましたけれど、そのほとんどの方は思想とか信条とか組織とかとは関係なく、伊藤益朗さんの中を吹きぬけたその風に共鳴したのだと思うのです。