2年間の活動を終えて

前 青年海外協力隊ジンバブエ野球隊員 田澤佑太郎

 

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 2016年11月3日にジンバブエでの活動を終え、無事日本に帰国いたしました。日本の慌ただしさ、寒さに未だに慣れず度々体調を崩してしまっています。2年間日本が恋しくなることはほぼありませんでしたが、日本に帰国した今、ジンバブエでの生活がとても懐かしく戻りたいという気持ちに駆られてしまっています。

 前回の寄稿以降、7月には高校生の全国大会がブラワヨであり、ハラレ、ブラワヨ、マッシュウエスト、ミッドランド、マシンゴ、マニカランドの6プロビンスからU16、U20それぞれ2チームずつ計24チームが参加しました。ブラワヨのシニアチームの選手が中心となり、審判などの運営も手伝ってくれました。大会途中に運営方法の変更があるなど、高校側と野球協会の連携に問題がある場面もありましたが、今回の教訓を来年以降に活かしてくれればと思っています。

 7月末にはアメリカ人ボランティアのブラッチャーさんがジンバブエに来られ、ブラワヨ、グエル、カドマ、ハラレにてクリニックを開催され、私も同行させていただきました。日本とアメリカでの指導法の違いに驚かされることもありながら、私にとっても良い勉強の機会となりました。

 8月初旬にはムタレにてインタープロビンシャルトーナメントが行われました。マシンゴは残念ながら参加できず、ミッドランドも人数が足りないという状況でしたが、各チームから助っ人を出しミッドランドチームを結成しました。また、ムタレ、ブラワヨは2チームでの参加をしており、計7チームでの大会となりました。この大会では審判が2人しか来ておらず私を含め3人での運営となってしまい、審判の育成も今後の発展には欠かせない課題であると感じました。しかしながら前年に比べ参加チームの増加などをみると着実にステップアップしていると感じたのも事実です。

 9月、10月には地方を廻り、高校生、クラブチームの指導、審判講習会の実施を行いました。この間にはMLBのトライアウトも実施されました。

 この2年間を通じて強く感じたことは、配属先の協力が活動の充実度を大きく左右するということです。任地での活動に際しては、自ら学校を廻り交渉できましたが、地方ではそういうわけにはいかず各地野球協会の人を頼らなければなりませんでした。しかし、なかなかうまくいかず、行ったのはいいものの、することがないという日も度々ありました。日本社会であるJICAとジンバブエ社会との間でもがき続ける2年間でもありました。

 また、私たち協力隊やブラッチャーさんなどの外部指導者の練習を継続していけるかが、発展するためには重要なポイントだと思いました。私が指導していた際は学校巡回や地方巡回が多く、一つのチームをずっと指導することは困難でした。その中で分かりやすく、簡単な指導法を模索し、指導してきました。また、毎回の練習でこれだけは継続して欲しいとお願いしていましたが、その場限りの練習になってしまっていました。これは野球に限らず他のボランティアも悩んでいたことですが、基礎と継続が大事だと考える日本人と、より実践的で楽しいと感じることがしたいジンバブエ人との違いだったのかなと思います。そのギャップを最後まで埋められなかったことがやり残したことの一つだと思います。

 2年間、うまくいかないことばかりで、悩み、苦しむ日々がほとんどでしたが、巡回指導で出会う子供たちの笑顔に日々癒されていました。初めて触れ合う野球というスポーツに興味を示してくれ、目をキラキラさせながら取り組んでくれた彼ら、彼女らにこちらも元気をもらいました。この2年間で一人でも多くの人が野球に興味を持ってくれたのであれば私の活動にも意味があったのかなと思っています。

 2年前、ジンバブエ野球の成長、発展の為と意気込んでやって来ましたが、2年経ち、成長したのは私自身だったような気がします。今までの固定観念を壊され、色んなアプローチの仕方がある、私自身正解だと思っていたことが必ずしも正解ではないなど、少し視野が広がったように思います。また、今まであまり感情を表に出さないようなタイプでしたが、この2年間よく笑い、よく怒りました。自分の知らない自分に気づけたことも大きいと思います。

最後になりましたが、道具の寄付や、大会資金等の援助など、ジンバブエ野球に援助していただいた皆様、本当にありがとうございました。