2002年「夏の集い」に参加して

難波緑 (団体職員 92~96年 北京駐在)

     

8月3日(土)午後2時から開催された「夏の集い」は私にとって非常に有意義なものでした。新参者ですが、慎んで報告させていただきます。 

 

1 国際選挙監視団に参加されたアフリカ協会織田美夜子さんの講演

 

 ジンバブエどころかアフリカ大陸にさえ足を踏み入れたことのない私にとって、日本のメディアを通じて感じるジンバブエのイメージは、農場襲撃場面などに象徴される「とにかく危ない場所」というものでした。

 

 織田さんは本年3月に実施された大統領選挙に対する国際監視団のなかの日本監視団の一員として渡航された際の貴重な体験を、ユーモアを交えながら解り易く語って下さいました。

 

 織田さんのお話を聞いた後の私の感想は、メディアが伝える現地の姿は不正確とまでは行きませんが、ありのままの姿とは随分違うということでした。

 

 特に、名簿確認作業に長い時間がかかり、投票所の外で待たされても列を作っている有権者の冷静な様子とか、織田さんが実際に歩いてみたハラレの町には特に物資が不足している様子もなく普通に生活出来るように見受けられたとの報告を聞きますと、欧米であれ、日本(ジンバブエ常駐の記者でなく南アやナイロビ駐在の記者がスポットで取材に来ていたとのこと)のメディアであれ、情報を受け取る側が、多様なソースに接しながら賢く取捨選択し、少しでも正確な認識を形作ることの大切さを思い知らされました。

 

 また、欧米の監視団が数十人単位で十分な準備時間を置いて派遣されて来ているのに対し、日本の監視団は僅か5名、加えて慌ただしい日程等をお聞きするにつれ、この人数と限られた時間の中で存在感を示された織田さん始め、日本監視団の皆さんの活躍ぶりに同じ日本人として誇らしさを感じました。織田さんは嘗て青年海外協力隊員として現地に派遣されておられたことからショナ語を操られるとのことで、これには、きっと受け入れるジンバブエ側も親近感と信頼を抱いたでしょうし、欧米の監視団も日本の監視団に一目置いたに違い有りません。

 

 織田さん、他では得られない貴重な情報と、そして元気をありがとうございました!

 

 

2 懇親会

 

老若男女、ご家族で参加されている方、ジンバブエに滞在したり旅行されたことがある方、野球愛好家の方、私のようなアフリカ初心者など、多彩なメンバーがジンバブエビールで盛り上がりました。

 

年長者の方が何でもうんうんと聞いて下さるので、その懐の広さに私もリラックス出来ました。

 

私の個人的な話を書くのを許して頂ければ、ジンバブエ野球会のことを知ったのは、今年6月に亡くなった元青年海外協力隊員のことをネットで調べていたことが切っ掛けです。隣国中国の初代の野球分野の隊員として天津体育学院に着任、当時野球のグラウンドといえば北京に1ケ所とその学院にしかなかった時代、野球がブルジョア的として批判され文化大革命で完全に葬り去られてから約20年、殆ど何もないところから孤軍奮闘され、現在、その教え子達が中国野球界を支えています。

 

 

昨春変則的とはいえ初めての中国プロ野球リーグで天津ライオンズが優勝を飾った陰には、知識も用具も不足していた当時の天津の若者達に一から野球を教えた彼の功績があると確信しています。その方が天津優勝の報のあと、わずか1ヶ月を待たず若くして突然亡くなったことは、私にとって大きな衝撃でした。そして彼をそこまで駆り立てた「野球」って一体何だろうと思いました。

 

いま、中国は2008年のオリンピックホスト国として競技野球の育成に乗り出しており、徐々に野球の市民権が回復しつつあります。旧くは第二次大戦時の同盟国だったアメリカが伝え、人民解放軍が訓練に取り入れたといわれる中国野球ですが、近年の第二次黎明期には一人の日本人の存在があったことを、仮に将来中国が金メダルをとろうと忘れないでほしいと思います。・・・と、一人で盛り上がってしまいました。

 

これまで日本政府が派遣して来た野球分野の青年海外協力隊員は100名以上、アジア、アフリカ、大洋州、中南米、東ヨーロッパなどで活動されています。その報告に共通して多く見られる言葉は「まず、野球の楽しさを伝える」というフレーズです。

 

ジンバブエを始め世界中にこんな楽しいスポーツを伝え、なおかつ支援者も一緒に楽しんでしまえるということが何より素晴らしいと思いました。

 

余談ですが、次回はカンボディア辺りにも行きたいな、という声も上がっていましたが、関西人の性として敢て突っ込みを入れさせて頂きますと、地雷が埋まっているかもしれませんので「ファール1本足1本」などということにならないよう、くれぐれも安全折り紙付きフィールドでプレーして頂きますようお願い致します。

 

私の取り留めもない話を辛抱強く聞いて下さった方々、本当にありがとうございました。