募金は1000万円を超えた

みんなの熱い思いで

 

 今回の野球場建設にあたり、現地で中心になって活動した村井洋介さんは、社会人野球を引退後、野球指導のため青年海外協力隊員としてジンバブエに渡った人である。一握りの白人だけのナショナルチ-ムをコ-チすることに疑問をもち、単身旧黒人居留区の小学校をまわり、一から野球を紹介指導した開拓者だ。そして92年からの2年間で、20校余りの小学校に野球を紹介した。その後、後任の隊員が引き継いで、今では250校が野球を取り入れているそうだ。今後は2004年や2008年のオリンピックも目指すという。野球人口を増やすとともに、ジンバブエ人の指導者や審判の養成、国産野球用具の開発、卒業後の受皿となるクラブチ-ムの整備などに力を入れたいということだ。

 候補地を決める際、私は「どこの国がいいのだろう」と、国際協力事業団から野球指導員を派遣している国のリストも頂いた。しかし結局、元ジンバブエ野球指導員の村井さんに連絡をとることにした。彼はその時点で任期を終えて帰国中であり、しかもいずれ単身再渡航して、仕事をしながら指導を続けることが報道で分かっていた。私にとっては、時々行って野球を楽しむには少し遠すぎる国ではあったが、とにかく野球場ができる可能性があることが重要であった。

 今振り返ってみると、その後村井さんとの信頼関係を築けたことが、野球場実現への最大の原動力となった。その村井さんがジンバブエの現地を担当し、私が日本国内を担当して計画を進めていった。

 

 村井さんが渡航して1年後の96年6月、予定地が決まった。私は単身ジンバブエに現地視察に行った。ヨハネスブルグを朝飛び立って、初めて空からアフリカの赤い大地を見下ろした時、こう思ったものだ。

 

「尼崎の判(はん)屋のおっちゃんが用事でアフリカに来てるなんて、何て愉快なことなんだ」

 

 建設予定地の確認をしたほか、首都ハラレの衛星都市に当たる旧黒人居留区の小学校での野球隊員の活動を見せてもらった。雑草の生えた校庭に集まって野球に取り組む子供たちの真剣なまなざしがうれしく、又かわいかった。こんなところにも野球をしている人たちがいるんだ。そして野球を伝えようと、学校を回っている日本人の若者がいることを知った。私たちが小さかった頃も、こんな原っぱでワンバン野球や三角ベ-スをやったことを思い出した。

 帰国後仲間に集まってもらって、現地報告と募金への協力をお願いした。いざとなると、募金がいくら位集まるのか全く見当がつかなかった。税金で控除されるのなら、企業が大口で協力してくれるのではという声もあった。また、数回新聞に載ったことは計画の信頼性を得たり、多くの人に知ってもらうことに役立った。しかし、こと募金に限っては、「この野球場の計画は面白い。この夢を共有したい」「あいつが言うのなら仕方がない。協力しよう」と、個人の決断で協力してくれる人々こそが最大の力となった。

 あの人が、この人が、私の予想を遥かに越える熱い思いを込めて、送金してくれたのだ。私は店のポストに届いた郵便振替の入金通知票を取り出すたびに、うれしさと同時に重責を感じ、武者震いをした。終ってみると、632人の方から私の分を含めて1000万円を越える募金を頂戴していた。

 

 いざ始めてみると、工事はアフリカペ-ス。私たち日本人の感覚では考えられない事情があるようで、予定地が決まった後建設許可がなかなか出ない。提出した書類が市長に届くのに数カ月。雨季は工事が進まない。長いクリスマス休暇、インフレによる物価や人件費の高騰、品不足、暴動、それらに伴う設計の変更。工事は遅々として進まず、私たちはややもすると不安になったが、現地で調整に当たっている村井さんを信頼することが最も肝心だとして、根気よく待ち続けた。

 

 以下は工事中のFAX交信のひとコマである。

97年10月20日、村井さんからFAX。(要旨)

 

 本日はあまりよい知らせとは言えませんが御報告申し上げます。

 4回に及ぶ専門家による土壌調査の結果、地質が非常に悪く両ダッグアウトもメインスタンドもさらに掘り下げが必要となり、従わないと建設許可を取り下げる可能性も出ています。そこで私個人としては設計変更をするつもりです。

当地の野球協会は途中まででも良いから基礎を作ると言い、まったく話になりません。そこで変更の了解を伊藤さんにいただきたくお願い申し上げます。どう考えてもグランドがメインですから、野球ができることを第一に以下のように変更したいのです。でないと予算内ではどうしても私の納得のいかない球場となってしまうのです。どうかご理解いただきたく存じます。

 いかがでしょうか?(手描きの図が描いてある)

 スタンドは映画フィ-ルドオブドリ-ムス型の木製スタンドを設置。これでも苦しいですが何とか頑張ってます。ご返答ください。きっと映画のような素敵なフィ-ルドをつくってみせます。

 

 村井洋介

 

同日、私から村井さんへFAXで返事

 

 OK!OK!  よろしくお願いいたします

 村井さんの熱い気持が伝わるFAXに感動しています。乾杯!

 (中略)  

 質素はすばらしいです。「素敵なフィ-ルド」を楽しみにしています。

 1997.10.20

 伊藤益朗

 

私の方もつい力が入って、このFAXだけは太いサインペンで書いて送った。