ZIMBABWE BASEBALL 

笑顔が生れる場所

ジンバブエ14年度3次隊 野球 坂本隆

 

私はジンバブエの18代目の野球隊員として’03年4月から’05年4月まで2年間、首都のハラレに派遣されていました。ジンバブエではここ数年の急激な経済悪化が知られていますが、それでも元気に笑顔で暮らしている現地の人たちに大きなパワーをもらい、喜怒哀楽さながら多くの事を感じてきた2年間でもありました。この素晴らしい経験を得て語りたい事は多々ありますが、二つの話に絞って書いていきたいと思います。

 

① John Meza

「Trust me !!」そう叫ぶしかなかった。まだ何かもの欲しそうな顔で、涙を大きな目に溜めて、それでも笑顔で見送ってくれた子供たち、そしてカウンターパートとしてほぼ2年間行動を共にしたジョン・メーザに別れを告げ、出発ゲートをくぐり「すぐに戻ってくるから、また一緒に野球をやろうな」っていう言葉を胸にしまい、笑顔で手を振った時のことだった。実際に、ジンバブエに戻って一緒にまたプレーする事は簡単なことではない。私は現職参加制度で派遣されており、帰国後スポーツマネジメント会社である自社に戻る事は既に決まっていたからである。それでも何か離れて行く事が不自然で、「だけど・・だけど必ず・・」という気持ちが溢れたのだろう。

ジョンとの出会いは私が現地訓練を終え、配属先の学校へ配置されてから間もなくの事でジンバブエ野球会によって作られたハラレドリームパークでクラブチームと練習している時であった。見学に来た彼は、今までも日本人コーチに習ったことがあるらしく、新しいコーチ来ジンの噂をどこからか嗅ぎ付け、やってきたのだった。それから彼がカウンターパートとして共に学校を回るのに時間はかからなかった。彼は純粋で、しっかりとしている。彼はいつも嬉しそうに野球の話をする。ある時、硬式ボール掲げ、私の方に向けて見せた。それはナショナルチーム(南アフリカ)選手のサイン入りボールだった。1番の宝物、そう言って笑っているジョンの笑顔は一生忘れないだろう。とは言ってもそれから多くの時間を一緒に過ごした訳だから、本気で怒鳴りつけもしたし、何もかもが上手くいかずに八つ当たりもした。時には野球の子供が亡くなって共に悲しんだりもしながら、お互いの信頼関係が築き上げられていったように思う。よく考えたら私が一喜一憂したあの瞬間、あの場所に彼はいつも居たんだって胸が熱くなる。現地人とこの様に笑ったり泣いたりしながらみんな野球が上手くなっていけたら幸せだなぁと本当に思う。

 

② National team of ZIMBABWE

初代隊員の村井さんをはじめ、ナショナルの選手たちと関わる事が出来たのは自分にとっても大きな事だった。私がこのチームに対して挑戦したのが、投手として勝負することであり、今まで投手経験がなく初めての登板である彼らとの初試合は鮮明に覚えている。もちろん?ボコボコにやられてしまった。村井さんは言う「俺らの頃は全勝だったぞ!」えっこのチームに!?もちろんその当時の選手と今の選手のレベルは違う。日本人チームもほとんどが野球経験者。勝って当然だ。かたや今の日本チームは初心者が多いのにピッチャーも素人だ。しかも初めてのジンバブエの日差しにやられ、バテバテの散々な試合だった。それでも実際にバッターと対決して得るものも大きく、それから幾度となく試合を組んでは剛球?を投げ続けた。彼らの成長を他の野球隊員はどう思うだろうか?いつも力強いフルスイングを見ながらそう思う。今や国内トップレベルのチームにも過渡期が訪れようとしている。自分の体をフルに使ってプレーする。身体能力がものを言う。楽しみながら感情のままに彼らはここまで成長してきた。これ以上試合に強くなれるのだろうか?ナショナルチームの日本遠征の後、村井さんは言った。「全敗はしたけど、いろんな点の取り方があるって事を、皆が経験できた事が大きいよ」まさしくこれからのジンバブエ野球に必要な事である。戦略といえばたやすいが、これからの更なる成長を期待している。

最後の試合相手はハラレ中心のチームだった。渾身の球と覚えたスライダーを駆使するもやっぱり彼らのあのフルスイングにやられてしまった。試合後、彼らの温かい言葉と胴上げで、大きな体が青いジンバブエの空に3度舞い上がった。(CanとDo感動である。)

 

現在ジンバブエの野球事情はいいとは言えない。しかし今もまだ、18人+αの日本人が蒔いた夢の破片がたくさん散らばっている。私もその1人である。大きくなくてもいい、夢を実現させるために、自分に出来ることをやって行きたいと考えている。

最後の野球隊員として今までジンバブエに関わってきた人たちが蒔いたものはまだ熱く、この国に残っていると伝えたい。(この国で感じた雰囲気は悲しみや苦しみもありますが、笑顔が生れる場所でもあります。それは誰にでも共有できる場所であると思います。最後にお世話になった皆様にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。)

感謝 笑顔