フランス野球に関わって 

県立神戸工業高等学校 保健体育科教諭・野球部監督 日置貢啓

 

野球というスポーツに携わってきて十数年になりますが、私にとってフランスでの3年間というものは、野球だけに関わらずこれからの人生の上で、大変大きな財産になりました。

 

まず、フランスの野球事情に触れたいと思います。元阪神タイガースの吉田氏がフランスの野球技術向上に渡仏されていたことは、皆様もご存じの事だと思いますが、実は、フランスに野球連盟の組織が確立されまして、今年で77年になります。しかし、野球連盟は存在するものの、野球人口は非常に少なく、野球の試合を見たことがない。ルールを知らない人が殆ど。というのが実状です。スポーツ店に行っても、野球用具が売られている事は殆どなく、あったとしても、日本で売られている子供用のようなものが少し。勿論、それを買うような人は全くといってよいほどおらず、店の隅っこの方に申し訳なさそうに置かれています。野球を本格的にしようとする者は、パリに数件野球専門店があるものの、殆どがアメリカへの通信販売で調達しているのが現状です。日本の様なきちっと整備されたグランドも殆どなく、あるチームはサッカー場にラインを引いて使用し、あるチームは競馬場の跡地をグランド代わりに使用しています。私が見た限りでは、安心してスライディングが出来る球場は数える程でした。

 

 また、我が国のように「学校の部活動」というシステムはなく、全てのスポーツに置いて、「地域スポーツ」つまりクラブチームです。国や市町村から、多少の助成金は配当されるものの、サッカーやラグビーなどの盛んなスポーツから比べれば、当然その金額は微々たるものです。また、クラブチームですから、幾つかの企業にバックアップしてもらう。つまりスポンサーになってもらって、遠征費、活動費に充てているのが現状なのですが、言うまでもなく野球のスポンサーになってくれる企業などは殆どない。競技人口の多いスポーツに於いては、小学生、中学生、大人(日本の区切りとは少々異なるが)といったように、クラスを分けて競技することが出来ますが、こと野球においては、中学生から30歳前後の大人が同じチームでプレーしていることも希ではありません。

 

 さて、次に主に私が指導していたチームの話をしたいと思います。私はパリから南西に約250キロ程行った所。ロワール地方のトゥール市に在外教育施設である日本人学校で体育の教鞭をとる傍ら、放課後や週末に隣町のジュエ・レ・トゥール市の野球チームを指導しておりました。サッカーやラグビーであれば、各市町村に必ずと言って良いほど1つはチームが存在するのですが、野球クラブはロワール地方(約、近畿と四国をたしたような面積)に4つ。このチームも例外ではなく、下は12歳から、上は31歳までと。そしてフランスという国柄もあるのでしょうが、国籍も様々。フランス人からドイツ人。イタリア系やアラブ系。さらには、私を含めてアジア系と。多国籍のチームでした。

 

フランスの野球組織は、大きく3つのグループに分かれています。1番トップレベルが、ナショナル1。次にナショナル2、3。といった具合です。(日本でいう、1部リーグ、2部リーグ)そして、毎年リーグ戦が行われ、勝ちあがって行けば上のリーグに昇格できる。という仕組みです。私が指導し始めた頃、このチームはナショナル2でした。レベル的に言いますと、高校野球の地区予選の1回戦を突破できるかどうか?のレベルです。

 

私が最初、彼等に出会った時、それはもの凄い歓迎を受けました。なぜならば、彼等は「日本は野球が盛んな国」だと言う事を知っていたからです。もっと極端な話をしますと、「日本人は全員、空手や柔道をしている」と思っていた具合です。こんな具合ですから、「日本人は皆野球が上手」だと思っているのです。彼等は確かにパワーはあります。投げるボールも速ければ、飛距離も相当なものです。しかし、細かいルールは全くと言って良いほど理解していない。「ボークの基準」や「インフィールドフライ」など。ただ投げて、打って、走ってという野球です。試合中に主審が、私に「今のはインフィールドフライか?」「今のはボークか?」と尋ねて来ることも希ではありません。そして、私が「今のはインフィールドフライだ」と答えると、相手の監督に「今のはインフィールドフライ。日本人が言うから間違いない」と主審が応対していることも良く見られた光景です。このようなレベルから私のフランス野球との関わりがスタートしました。

 

やはり一番苦労したことは、言うまでもなくフランス語です。野球の用語でさえフランス語で話します。ですから、中学校や高校で学んだ英語は全く力にならない。しかし、彼等の野球に対する情熱、愛情というものは、私の想像を遙かに超えていました。確かに最初は言葉が通じません。しかし、身振り手振り、片言のフランス語で説明すると、驚くほど真剣に吸収してくれます。彼等は純粋に野球が上手になりたくて仕方ないのです。

 

先程も述べましたが、フランスで野球の道具とは、日本以上に大変高価なものです。グランドが芝(日本の草むらのようなもの)ですから、雨が降った翌日などには、すぐにボールは水分を含んでしまいます。そんな重たくなったボールを十数球、1年も2年も使っている状態です。日本での野球しか知らなかった私にとっては、当初、練習の能率の悪さ、練習環境の問題ばかりに目がいきましたが、野球を教えに来た私が、野球以前にもっと大切なことを学んだような気がします。私も高校時代、練習の最後にグランドを見回って、転がっているボール拾いをしたことを覚えています。しかし、彼等はそのレベルではない。私の見る限り、十数球のボールを3年間、1球も無くすことなく大事に使用していました。誰かが、「ボール拾いをしろ」って言うわけではありません。草むらに入ったボールを30分でも1時間でも探しています。ボールだけではなく、バット、グローブなども同じです。確かに「物を大切にする。古い物を大事にする」というフランスの国民性があるのかもしれません。しかし、これほど「物を大切にする」という現状を目のあたりにして、私自身が今までどれほど恵まれていたか。と言うことが痛いほど理解できました。

 

これほどまでに、前向きに、そして真剣に野球を愛しているのですから、上達するのも目を見張る物があります。私が渡仏した97年、そして98年、ナショナル2で優勝したものの、入れ替え戦では惜しくも負けてしまいました。しかし、3年目の99年のシーズン。彼等はみごとナショナル1に昇格しました。00年の春、私は帰国しましたが、今でも純粋に野球を愛して、プレーしている姿が目に浮かびます。

 

現在、私は定時制高校で保健体育の教鞭をとる傍ら、定時制の野球部の指導に携わっております。フランスで学んだ原点を大切にして、ここでも決して環境に負けず、この経験をもとに、子供たちと一緒に、心から野球を愛し、楽しんでいける様努力し続けたいと思っております。