事務局だより

伊藤益朗

 

●今年の3月に村井洋介さんがジンバブエを去り、南アフリカのヨハネスブルグで新しい生活を始められました。又、最後のジンバブエ野球隊員の坂本隆さんも任期を終え、帰国されました。これによって、92年から続いていました日本人の野球指導者はジンバブエ国内にいなくなりました。その結果、在ジンバブエの村井さんを通してアフリカの野球を応援して来ましたジンバブエ野球会はその形態を変更する必要が出てまいりました。村井さんは今後も移住先の南アから出来る限りの尽力を継続して下さることになっていますので、どのような形が適切か探っていくつもりです。しばらくの間は焦らずに状況を把握しようと考えていますので、どうか皆様温かく見守って頂きますようお願い致します。

 

●HPアドレスを変更いたしました。新アドレスはhttp://www.geocities.jp/zzyykai0110/です。但し、旧アドレスからもアクセスできます。

 

●村井さんのジンバブエの状況報告を読んでも近年のジンバブエの厳しい状況が想像されます。そのような状況下でジンバブエの野球選手たちは大人になるとプレーが続けにくくなります。多くの選手たちは仕事を求めて国内外に移動する必要が出てくるのです。何しろ失業率は70%以上、平均寿命は37歳で世界のワースト3位なのだそうです。

 

●ジンバブエ独立以来の25年間で、国内で最も素晴らしい発展を果たしたチームスポーツとして同国野球協会が銀賞を頂きました。遠いアフリカの一国の国内で認められたということは、如何に日本の青年海外協力隊の歴代野球隊員たち(初代が92年の村井さんで最後が05年3月までの坂本さん)が誠実に大きな働きをされたかを証明する出来事といえるでしょう。また、任期終了後の村井さんと野球場建設時のジンバブエFOD委員会やそれに続く私たちジンバブエ野球会も少なからず一役買うことが出来たものと、皆様と喜びを共有したいと思います。

 

●このところ会員の訃報が多く寄せられています。野球場建設時からすれば10年になりますので、考えられることなのですが、どうぞ皆様ご自愛いただき、元気にお過ごし下さいますようお祈りしています。

 

●私の仕事の一部として、昔懐かしい野球カステラ(グラブやボールや帽子などの野球道具の形をした小さなカステラ)の千葉マリーンスタジアムでの販売に関わり、また、阪神タイガースロゴ入り木札ストラップという商品を発売いたしました。そして、それらの売上の一部はジンバブエ野球会を通してアフリカ野球を応援するのに使うと表示しました。私の商いとジンバブエ野球会の連動で少し誤解を招く面があるかも知れませんが、これはNGOが募金以外の方法で独自の資金調達努力をする第一歩として試みることであります。何卒ご理解を頂きますようお願い致します。

 

●昨秋来日致しましたジンバブエナショナルチームが試合をしました青山学院大学は東都大学野球連盟で優勝された後、全日本大学野球選手権大会でも見事優勝、大学日本一の座につかれました。また、関西学院大学も近年にない充実した戦い振りで、関西学生野球連盟の優勝まであと一歩のところでした。優勝を争った近畿大はその後、全国大会決勝まで勝ち進み、青山学院と大熱戦を繰り広げました。一昨年の春、3名のジンバブエ選手が研修に来たときにタイガースの練習を2日間にわたってグランドに降りて見学させて頂いたことがありました。その年のタイガースも見事に優勝を飾ったことは記憶に新しいことです。ジンバブエ選手は福の神に違いありません。

 

●去る6月13日、青山学院大学の硬式野球部が近畿大学を大熱戦の延長戦の末破り、優勝、大学日本一になられました。 この青山学院チームの新チーム第一戦が、昨秋の私たちジンバブエナショナルチームとのゲームでした。

 

ZW 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

青学 1 0 0 5 1 4 0 0 × 11

 

 

 

 

 青山学院の選手たちは、試合前にも個人練習をされ、各自が自分の課題に取り組んでおられました。また、ジンバブエ選手をその仲間に入れて一緒に練習して下さった姿は忘れられない光景でした。

そのような日々の積み重ねが結実されたものと、私たちも大変嬉しく思っています。

深夜のTVダイジェスト版で決勝戦を見ましたが、一見、劣勢とも見られる中での粘り強さに感動しました。河原井監督の感激の涙、印象的でした。 

ジンバブエのマンディ氏とピーター氏にも伝えましたところ、マンディ氏はお祝いのメールを東京滞在中お世話になった滝さんに宛てて送っていました。

ジンバブエの選手たちは青山学院の選手たちが大学日本一になられたことから、あのような練習態度、あのようなボールの切れ、プレーの鋭さが、大学日本一に通じるものであることを、実感を伴った励みにすることと思います。あの時の経験が今、更に輝くこととなりました。

青山学院の選手、関係者の皆様に祝福と感謝の気持ちで一杯です。

 

●チーム来日時に村井さんの記念プレートを作り、マンディ氏に託しました。永年の村井さんの貢献を末永くジンバブエの後進の選手たちに伝えたいとの思いから作成したものでしたが、昨年暮れのドリームカップの時にハラレドリームパーク一塁側ダッグアウトの壁に貼って下さいました。(写真参照、左小さい方)

隣は98年の野球場建設に協力下さった方々のお名前を記した記念プレート。